『BT vol.3 (ARMADA)』によれば、短砲身76.2mm砲(砲の形式名:KT)搭載のBT-7A(1937年製)に、長砲身76.2mm砲を搭載する試みが1939年に行われ、実際に76.2mm砲を搭載した試作車両が製作された。この際、試験的に搭載された長砲身76.2mm砲は2種類(F-32とL-11)であるが、L-11はその後T-34に搭載された。この長砲身76.2mm砲搭載型BT-7Aは試作車のみで生産には移されていないようだが(ロシア語の本文には該当記述があると思われるが私には翻訳不能)、おそらく試作車の評価によって砲塔サイズ(作業スペースや弾薬搭載量)や機動性等の問題が明らかになったため、計画が破棄されたのだろうと推測される。
しかしながら、この時期、長砲身76.2mm砲を搭載した中戦車が依然として必要とされていたはずである。というのも、本来は火力支援を目的に短砲身76.2mm砲を搭載したBT-7Aに長砲身76.2mm砲に換装したのは、火力支援だけではなく、BTシリーズの火力強化が目的だったと考えられるからだ。ベース車体のキャパシティーの限界が本車両の試作・評価過程で明らかになり、BTベースの武装強化は行き詰まってしまったと仮定すると、その代替案としてA-20試作車に白羽の矢が立ったと考えるのはどうだろうか。A-20試作車は、傾斜装甲で構成されたデザインこそT-34を彷彿とさせるが、なぜか貧弱な45mm砲しか搭載していなかった。BTと同じくクリスティをルーツとするA-20試作車に急遽長砲身76.2mmを搭載した試作戦車が、当に後のT-34の原型になったとは考えられないだろうか。
既にお気づきのように、KV車体への85mm砲搭載計画(KV-1S-85)が挫折した際に、KV-13という古い試作重戦車(KV-13は必ずしも重戦車を目指して設計はされなかったが)の車体を流用・再設計することでIS重戦車シリーズが実現したという、数年後の戦時中のストーリーがこの推察のベースである。T-34の開発においても、BT-7Aベースの長砲身76.2mm砲搭載がうまくいかなかったために同時期に試作されていたA-20を引っぱり出して長砲身76.2mm砲を搭載したという開発経緯だとすると、ソ連の戦車開発手法を研究する上で大変興味深い事実になると思う。本論は極めて論拠の希薄な妄想の産物に過ぎないが、果たして真偽のほどは如何に?
◎時代遅れになったBTからA-20系新中戦車に開発重点を移行する際に、次期中戦車の主砲になる長砲身76.2mm砲をテストベッドとしてBTに搭載して各種データ収集をしたとも考えられる。この場合、長砲身BT-7Aは初めから大量生産を前提に試作されてはいなかったということになる。